点Pくらいよく動く

友達に言われたことをブログのタイトルにしました。

兎、波を走る@博多座

2023年8月26日(土)晴

 7時頃一旦起きる。野田地図の当日券販売が10時からなので余裕があればチャレンジしようと思っていたのだが、眠いし暑くなりそうだし、行ったところで取れるか分からないし(並ぶ人は8時くらいから並んでいるようだった)、取れたところでマチソワに腰が耐えられるかも不安だしということで、行くのはやめてギリギリまで寝ることにした。9時半頃起きてfitbitの睡眠記録が「良い」になっているのを確認してから身仕度して出かける。

 セブンイレブンでチケットを発券したら2列目で驚く。右側のサブセンター。野田地図は無料のメルマガに登録するだけで、大抵良い席を取ることが出来るので本当に有り難い。Kちゃんとロビーで落ち合ってから入場。席に着くと、椅子の上にクッションが置かれていた。近すぎて普通の状態だと見えなくなるからなんだろう。3列目まではクッションが置かれているようだった。舞台奥の方に螺旋階段やアリスの落ちる穴があることは台詞でわかるのだけれども、視認することは出来なかった。


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兎、波を走る | NODA・MAP 第26回公演

 13時から博多座で野田地図の「兎、波を走る」を見た。野田秀樹の作品は、事前に明かされている情報(今回は、アリスと2名の有名作家が出てくること)に隠されたテーマが存在し、作品中盤でそのテーマが明かされて、これまで意味も分からず笑っていた台詞はすべて意味のあるものだったことが分かって頭を殴られたような気持ちになるのが常である。

 

(ネタバレを絶対に踏みたくないのであれば以下読み飛ばして下さい)


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 今回は、Twitterで当日券に関する調べ物をしている際に「戻れない女の子」という言葉を目にしてしまったので、テーマが拉致問題だろうということは予測がついていた。ならいっそと思い、政府のまとめページをおさらいしていったのだけれども、知っていてもひどい話ばかりで辛くなった。たまたまちょっと前にチェーホフ桜の園を読み始めたところだったので、それ関連のネタに関しては笑うことが出来た。ブレヒトについては三文オペラの作者であることくらいしか知らないので、どの部分がオマージュなのかは分からない。でもまあ元ネタを知らなくても、マッシュアップの天才・野田秀樹の手にかかれば、否応なく心を動かされてしまう。

 そういうわけで、テーマがうっすら分かった状態で見たものだから、野田芝居につきものの、詩的でその響きだけでうっとり出来る台詞の裏の意味が分かるので、冒頭から涙目で見る羽目になった。

『不条理の果てにある海峡を、兎が走って渡った。その夜は満月。大きな舟の舳先が、波を蹴散らしては、あまた白い兎に変わった。アリスのふる里から逃げていく船は、代わりに兎をふる里に向かって走らせた。僕はその兎の一羽。不条理の果てからアリスのふる里へ、とりかえしのつかない渚の懐中時計をお返しに上がりました』

 これを高橋一生の声で聞かされるのだからたまらない。

 話の大枠は「桜の園」(女地主の土地が競売にかけられる)、競売を控えた女地主は、最後に自分の遊園地で昔見たアリスの芝居がかかるのを見たいと言う。その依頼を受けてアリスの脚本を書いているのはチェーホフのひ孫。そこにアリスの母を名乗る女が現れ、迷子のアリスを探しているという。チェーホフの孫は自分の書くアリスはそんな話では無いと言い、彼の書いたアリスの劇中劇が始まるが、40代のアリス役者が酒を飲んでぐだぐだになるとかいうネタだったので、女地主から解雇されてしまう。

 新たに雇われたのはブレヒトのひ孫。彼は「黄昏れてピーターパンでアリンス」という脚本を書き出すが、それは子どもと親が、互いへの不満をシュプレヒコールにして叫び合うような代物だった。

 女地主に好意を抱いている男、シャイロック・ホームズは、女地主を自分のものにするために、秘密裏に遊園地のIR計画を勧めるが、それはVRとARを使ったものだった。シャイロックはAI作家の初音アイに脚本執筆を依頼。シャイロックは女地主と共に自己をアバター化し、仮想現実の世界で暮らすことを目論んでいる。

  1. 売られようとしている遊園地と、女地主を我が物にしようとする男 
  2. チェーホフのひ孫が書いたアリス 
  3. ブレヒトのひ孫が書いた社会派のピーターパン 
  4. 逃げ続ける兎(高橋一生)と、アリスを探し続けるアリスの母(松たか子
  5. 迷子になったアリスのその後
  6. 第3の作家(AI)が書いた芝居の脚本、VR、AR、アバター

 大きな要素はこの6つで、話はこの間を行きつ戻りつし、そうこうしている間に(作中の)現実に芝居が割り込んできて境目が分からなくなっていく。アリスの母の必死の追求によって、逃げ続ける兎は、彼が「アリス」の兎ではなく、「もう、そうするしかない国」の工作員であり、アリスが自分の仲間に拉致されてきたこと、彼女自身もスパイとして教育されていたことを目撃したと告白するに至り、今度は観客の暮らす現実世界と劇中の出来事の境目が曖昧になる。

 「もう、そうするしかない国」とぼかしつつも、拉致という言葉、愛国歌の歌詞や38度の国境線、病院名、元工作員の氏名などがそのまま使用されているので、なんの話をしているのかはすぐに分かる。

 博多座から地下鉄で10分のところには、着くはずの飛行機が着かなかった空港があるので、ハイジャック事件には触れると予想していたのだけれども(久々の福岡公演が、これまでの北九州芸術劇場ではなく博多座だったのはこれが理由なのかな?とも思った。考えすぎかも)、かなり突き放した言葉で(『何かしそう』という思想を旗印に、どこにでも座り込んだり暴れ回ったりしているどや顔たちが起こした「どや号ハイジャック事件」)語られたので、これは気にくわない人もいそうだなあと思った。ハイジャック事件の他には、ところどころで成田闘争らしき映像が舞台上に投射されたり、遊園地が取り壊しの危機に晒されるシーンで空港建設時の反対運動について言及がされたりしていた。

 舞台上三方向の壁が幾重もの鏡貼りになっていて、舞台上で行われることが鏡の中で延々と繰り返されているのが見えてクラクラした。特に、巨大な振り子時計が揺れ動く中で演者たちが飛び跳ねるシーンが印象に残っている。

 テーマの一つがVRだからか、プロジェクションマッピングや、どうやっているのかよく分からない技術が沢山使われており、役者の肉体と重なることで効果をあげていた。

 いろんな場面で、人間に見立てた四角く大きな紙が使われていたのだが、それが舞台を横切ると人が消えたり、棒で叩きのめすと大きな音を立てたり、ビリビリに破かれたりと、ただの紙と分かっていても、目の前で暴力が行使されるのを見せつけられるわけだから、かなり怖かった。

 わたしはテーマの一つである、AIや仮想現実については正直よく分からないのだけれども、(Vtuberバ美肉の存在は知っているが、なぜそれが流行っているのかがピンとこない)、拉致問題と仮想現実を同時に語られると、自分の日常を思い出さざるを得なかった。

 かの国がミサイルを発射したというニュースを耳にする頻度が上がるにつれ、まるで別世界の出来事みたいだと、自分と切り離して考えるようなところが出てきたからだ。ごく近い場所にある国が時報みたいにミサイルを撃ってくるのだから、日常生活を送るため、無意識下で感覚を麻痺させているのかもしれない。けれども、この状況が続いているうちは交渉も進まず、拉致問題の解決もないのだと釘を刺された気がしてドキッとした。

 余談にはなるが、「ドキッとした」という台詞が何度も繰り返され、アリスとアリスの母が心臓の音で繋がっている(あるいはそうであってほしいという願望か)ことが暗示されるのと、螺旋階段が出てくるのとで、「半神」を思い出して、そういう意味でも涙が出た。

 2列目というとんでもない至近距離で見たのだから、役者さんたちについても少しだけ。野田地図に出演する人たちはとにかくみんな声と滑舌がいい。高橋一生松たか子秋山菜津子大倉孝二山崎一といった複数回参加組は元より、初参加組も台詞が聞き取れないということがなかった。多部未華子は、テレビで見たままの声でごく自然に喋っているのに、舞台上でもよく声が通っているので、どういう体の使い方すればああいうことができるのかと思った。大鶴佐助は、いかにも舞台役者といった発声でどこまででも声が出そうな台詞回し。体もめちゃくちゃよく動く。見事な側転を決めてからの自己紹介でインパクトがあった。あとは木下歌舞伎の桜姫東文章で初めて見た森田真和。一度聞いたら忘れられない声をしていて、野田地図の世界にピッタリあっていた。別の作品でも見てみたい。

 なんせ2列目なので(しつこい)、役者の口から飛沫がバンバン飛んでいるのがよく見えた。山崎一から話しかけられたり、大倉孝二野田秀樹の、どっちがよりちゃんと空を飛べるか対決(という名の茶番)をかぶりつきで見られたり、変わった服がとにかく似合う高橋一生を堪能できたりと、満足度が高かった。あと一回、安い席で全景を見渡せればよかったとは思うが、それはWOWOWの放送を待とうと思う。


=======(ここまで)======


 終演後、地下鉄の改札口で、やっぱりわたし野田さんだめだわと言っている人とすれ違ったが、それもまた仕方のないことだろうなと思った。わたしは、夢の遊眠社の贋作桜の森の満開の下を視聴覚室で見た日からずっと野田秀樹の作品が好きだけれども、理解できているかと言われたら答えに詰まるし、正直、あらすじすら分かっていないくらいだ。それでも毎回、観劇するといろんな感情を引き摺り出される。考えずに感じて、見終わった後に戯曲を見て体験を思いだし反芻する一連の流れが好きだ。これからもずっとそうしたいと思っている。次はどこの劇場で見ることができるだろう。楽しみに待ちたいと思う。